FANTANIMA! 出品作家のエヴァ・カロさんは、この戦時下でもキエフに留まっています。
2月24日にロシアのウクライナ侵攻がいきなり始まってから、facebookで日記を公開してきました。いきなり変わってしまった危険な毎日をどう過ごしているのか、その様子がわかる貴重な記録です。カロさんのご理解を得て、FANTANIMA!のブログでご紹介させて頂きます。一度にすべてを掲載できないので、随時更新してまいります。
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今晩は、私達の老犬の呼吸が荒くなり、床に伏せてしまった。彼女は年寄りで心臓に問題がある。もう駄目かと思ったのだけど、しばらくしたら回復し、その夜はちゃんと眠った。
今日は普通のコーヒーを買うことができる場所を2件見つけた。ちょっと生活が修復された感じがした。
この冷え込む数日、私達のベストな服は、ユニクロのヒートテックだ。40%以上の保温力だと書いてある。ウクライナにはユニクロがないので、姉妹に頼んでカナダのどこかから送ってもらっている。今はほとんどユニクロで暮らしている。「人生で一番大変なときのベスト・クローズ」なんていっても、あまりいい宣伝文句にならないか。でも、本当にそうなの!
今日は人道支援で、通りにいるすべての人にケーキをプレゼントする車がきた。戦争が終わって2型糖尿病になっても困るから、ここにいる友達とケーキを分けることにした。それでも十分だ。でも私達が車まで行ったときは、もうケーキはなかった。
みなさん!あらゆる方法での応援に感謝しています!皆さまの支援のおかげで家賃やペットと自分たちの食料を買うことができます。投稿やメッセージ、質問、ご注文、真実を知るためのモチベーション、すべてに感謝しています!皆さんをハグします!
17日目(3月12日)
今晩は、私達の老犬の呼吸が荒くなり、床に伏せてしまった。彼女は年寄りで心臓に問題がある。もう駄目かと思ったのだけど、しばらくしたら回復し、その夜はちゃんと眠った。
今日は普通のコーヒーを買うことができる場所を2件見つけた。ちょっと生活が修復された感じがした。
この冷え込む数日、私達のベストな服は、ユニクロのヒートテックだ。40%以上の保温力だと書いてある。ウクライナにはユニクロがないので、姉妹に頼んでカナダのどこかから送ってもらっている。今はほとんどユニクロで暮らしている。「人生で一番大変なときのベスト・クローズ」なんていっても、あまりいい宣伝文句にならないか。でも、本当にそうなの!
今日は人道支援で、通りにいるすべての人にケーキをプレゼントする車がきた。戦争が終わって2型糖尿病になっても困るから、ここにいる友達とケーキを分けることにした。それでも十分だ。でも私達が車まで行ったときは、もうケーキはなかった。
みなさん!あらゆる方法での応援に感謝しています!皆さまの支援のおかげで家賃やペットと自分たちの食料を買うことができます。投稿やメッセージ、質問、ご注文、真実を知るためのモチベーション、すべてに感謝しています!皆さんをハグします!
16日目(3月11日)
凍えるような風のせいで、今日はとても寒い。でも晴れているので、ちょっと元気になれる。
人々はまだ、ウクライナやキエフから退避をしている。ある人はキエフに避難してくる。国全体が今は大きな生命体のようだ。
あいつらがこの国を、町を、家を破壊しはじめたときに欲しかったのは、この国の心臓だ。でも手に入れることはできない。なぜなら私達の心臓は希望と忠誠心と自由がみなぎっているから。それは彼らがまったく知らないものなのだ。
15日目(3月10日)
今日は完璧に晴れているのにひどく寒い!日中でマイナス4度、でも風があってマイナス8度くらいに感じる。この写真をバルコニーで撮影していたのが午後3時、陽の光に満ちて、春が来たのを感じた。
私達は一針ずつ縫い物を始め、今日は国際便を発送した。オーダーで応援してくれてありがとう!今、私達がこの国のためにできることは少しでも寄附をすることだ。私達は深刻な状況ではなく、ボランティアの仕事もそんなにない。だから一番いいと思うことをすることができる。
みなさんの多くが、マリアと私がいかにこうやって落ち着いて前向きにいられるのか、尋ねる。マリアはあまり書かないけど、ほんとうにマリアはいつだって落ち着いている。私達はいつもいろいろな状況に備えて心の準備をしているから。
私達はいろんなケースの「その時どうする?」を話し合っていた。「お金が全部なくなったらどうする?」「病気になったらどうする?」「私達のどちらから昏睡状態になったらどうする?」「私達のどちらかが死んだらどうする?」
そして1月になってからはずっと「戦争になったらどうする?」と話してた。
少しずつ、徐々に自分の怖れや弱さに触れていくことはトラウマになるかもしれない。でも自分自身にの気持ちにちょっと気づくきっかけにもなる。
だから、「何のためか」ということさえ分かれば、どんなことになってもパニックになるようなことはないだろう。そうやって、本当の価値に気づくことができる。「その時どうする?」という事態になっても、何を、いつ、どうすべきかというプランをいくつか前もって準備しておくことができる。
最近は少し静かになってきたので、この町、首都キエフの様子を見てみようかと思う。キエフからはさらに多くの人が避難していった。しかしキエフに無事に避難してきた人達もいる。
(作者からの原稿で14日目と13日目が重複していたため、14日目を飛ばします。)
13日目(3月8日)
いくつかのものがなくなって恋しい。ココアミルクをまぜた美味しいカフェラテ、中心街への散歩。ふけ防止シャンプー、特定のタイプのタンポンみたいな日用品の買い物。あることはもうできなくなってるし、他のことも難しくなるか、以前よりもっと困難になってきている。
プラスして、私達は今はみな、なんらかの形でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症している。たとえば(パートナーの)マリーと私は空襲警報の幻聴を聞くようになった。
戦闘機の音はぞっとする。空襲警報の音は不気味だ。迎撃機の戦闘の音も恐ろしいけど、同時に落ち着く。味方の部隊が闘っているのが分かるからだ。
今日はまた仕事を始めた!ウクライナ出身の女性が白いライオンブローチを注文してくれたので、それを発送した!まるで別世界のことみたい。さらに、郵便局が今日発表したことによれば、ニューヨークに向けて初めて飛行機が飛んだとのこと。私達の荷物も海を越えることができる!
ここのあいだ、私はすべての友人に感謝しています。毎日応援してくれてありがとう!それを感じています。そして救われています。私達はどのコメントも読んでいます。どうもありがとう!
少なくとも日常の半分くらいのレベルまでは、生活が戻ってこなければ!
12日目(3月7日)
今日はいくらか静かだった。私達の軍隊はキエフ周辺の町から2000人あまりの市民をなんとか避難させることができた。でもロシア軍はすべての市民が避難することを許さないし、面白がって殺したりする。これは戦争じゃない。ウクライナ人のジェノサイド(大量虐殺)だ。戦争法を守らず、ただ町を破壊し一般市民を殺す。すればするほど彼らにとって都合がいい。ロシアにいる人達は彼らの暴力行為を知らない。彼らはロシアのプロパガンダが伝えることを信じているから。私達の軍隊は世界中から集まる支援武器や共に闘うために来てくれる志願兵のおかげで、今も強くありつづけられる。すべての友人、すべての支援に感謝している!
昨日はアパートにあるすべてのものを箱詰めした。アパートにミサイルの欠片があたったときに無事でいるチャンスがあるとすれば、身の回りのものも少しは残っていてほしいから。ナンセンスみたく聞こえるけど、保険みたいだし、これで少し気持ちも落ち着く。
私たちはこれから数日間のあいだにロシアがどうなるか、たくさん考えるようになった。もう、ロシアから脱出を始めた人達がいる。それはいい考えだ。私達はこの国の全てと国民を許すこともないし、少しは良く思うようになることもない。国外に出た人には、残骸から新しい国を作ってほしい。今のロシアは長くは続かない。
分断が進みいくつもの独立国をもたらす内戦のような、強い力が起こってくるだろう。大きな嘘に支配されているのは二つの都市、モスクワとサンクトペテルブルクだけ。それは誰の目にも見えていることだ。その他は大きな森と沼と、哀れに怯えきった人達だけだ。
11日目(3月6日)
チーズを少し買いに行ったら、スーパーマーケットにはパイナップル、ココナッツ、キウイがたくさんあった。でもミルクと卵は全然なかった。それにもかかわらず、私たちはあたたかい蕎麦粉のパンとチーズ、クッキー、チョコレート、コーヒー、林檎、そして地0図が少しある!みんなはだいたいオートミールやチップスを買いたがる。健康志向なんだけど、戦争のニュースを見るときはチップスを食べてるから。アルコールは何日も禁止されている。食料の価格は変わっていない。
銀行は電気や光熱、水道費などの日常に必要な請求の支払は遅れても超過料金を請求しない。個人的なビジネスは税金を期限通りに支払わなくてはならない。道は封鎖されているか、コンクリートのブロックや装甲車からとった部品で道幅を狭めている。私達の軍隊はキエフへの道を一日中守っている。そのせいで今日はちょっと騒々しい。
今日は陽射しがちょっとのぞいて見えたよ。ナイス!
10日目(3月5日)
今のところ正しいことと、変更したことなど。
・戦争初日に避難バッグをパックしたのは、いいアイデアだった。準備しておけば保険みたいなもので、別のことに集中することができる。地下室に行くときに何度か持っていって、爆撃を避けているあいだ、中身が大丈夫かチェックをした。
・二つの壁のルールに従い、廊下で寝るようになった。でもこの決断が正しかったなどと分かる時は訪れないでほしい。
・お店には残り物しかないから、チーズを見つけたらできるだけ買っておくようにしないとならない。
・ペットのなかの一匹の犬のためには特別なペットフードをより多く確保しておかねばならない。彼女は食事を変えると下痢をしてしまい、薬をあげなければならなくなる。地下や別の場所に避難しなければならなくなったとき、それはとても面倒なことになるからだ。
・建物の外に飛び出していかねばならないときのために、着替えは寝る場所のそばに置いておく。そうすると安心する。
・普通なら今ごろは天気はもっと春らしくなっていいはず。もっと日があたって温かくなるのだけど、今はあるがままを受け入れるしかない。不満を言っている暇などないのだから。
9日目(3月4日)
私達は毎日を日課どおりに過ごしている。
7時頃に起きて、犬の散歩に行く。路上やゴミ箱で空瓶を拾って、地域の警備隊の拠点に持っていく。
それから朝食をとり、洗濯をして家をちょっと掃除する。
友達や親戚にメールを書いたり電話をして近況を聞く。
夕食をとる。犬の散歩をする。地元の友人に会う。パートナーのマリーの両親に会いに行く。パンやお菓子を買う。本を読む。ニュースは常に読む。空襲警報が鳴る間は家の廊下に座ってる。時々屋根裏のあたりを見て、異常がないかチェックする。
こんなことをしていて一日があっという間に経ってしまう。毎日がとても忙しい感じがする。戦争は一ヵ月も続いている感じがする。9日間なのに。
学校の前の張り紙。ここにシェルターはあるけれど、数人しか入れないし、長時間滞在してはいけないというお知らせ。
8日目(3月3日)
私にはハリコフに友人がいる。彼女は一日のほとんどを家の地下室で、夫と義理の父と一緒に過ごしている。毎日たがいにメッセージをやりとりしている。私はなんとか自国の軍隊やハリコフについて良いニュースを送ろうとしている。なんとか彼女を励ましたい。彼女もそれが支えになると言ってくれるから。毎晩、彼女にメッセージを送るとき、これが最後になるんじゃないかと思うと恐ろしくなる。
今はすべての人の安否確認を更新できた。10年以上も連絡をとってなかった人にも、連絡をした。薬局に行って3時間も列に並んでいる人は、私達にも何か必要なものがあれば買っておくからと連絡をしてくれた。私達も買い物に行き、ミルクやパン、卵やバターのような毎日の食料が必要であれば買っておくからと連絡をした。私達は互いを助け合う。お年寄りや、たくさんのペットを飼っていて餌に困っている人達も。
また、略奪者には厳しい罰が与えられることになった。15年までの懲役刑になる。
ある人達はまだ国外やウクライナ西部に退避し続けている。毎日、Facebookでは知っている人が退避を決心したと投稿している。それぞれが自分にとって最善策と思うことを実行する。
他人の最善策が何なのか分かる人なんて、誰もいない。
7日目(3月2日)
・私達は外出着のまま、または着替えの服をそばに置いてアパートの通路やシェルターで眠ることに慣れてきた。
・全国的にクリエイティブな高まりは止まらない。同時多発的にジョークが交わされ笑い、またジョークを言って笑う!
それはまるで、家のなかから敵に火炎瓶を投げつけるようなものだった。
・私達は誰もがみな、世界に向けて私達の軍隊や、避難のために別の都市へ移動する人や、まさに今も過酷な戦闘地域にいる人達を応援してほしいと訴え続けた。
・私達は互いに毎日なんどもなんども「大丈夫?」と聞くために電話したりメールを打つ。
・私達のみんながウクライナの軍の装備は侵攻軍のものとどう違うかということを知っていた。そのことに気を付け、写真を撮り、軍に報告した。
・7日後にしてついに、自分たちをケアするための時間が少しとれるようになった。たとえば温かい新鮮なパンを買って、半分を残して楽しみのために食べてしまったり、石鹸だけじゃなくて手や体を綺麗にして肌を保護するものを買った。すべての面で自分自身をケアするための時間だった。
私達はEtsy Shopでデジタル画像のカードの販売を始めた。自分たちのためでもあるし、軍隊や、本当に助けを必要とする人に寄附するために。
3日目はパンの棚が空だった
6日目(3月1日)
たった一日で、すべてのウクライナ人がひとつの生命体にまとまってしまった。
私達はこの戦争とロシアについてアートやジョーク、歌を作り始めた。インスピレーションの泉は巨大なものになっていった。生きようとする力を源として。狂気を感じるほどだった。私達は平和を望んでない。望んでいるのは復讐だ。
他の人はどうして私達がキエフやウクライナから離れないのか分からないでいる。簡単なことだ。この戦争は私達の自由のため、私達のアイデンティティーのため、私達の文化を守るためのものだ。私達は自分たちの歴史、故郷、大切なものを守っているのだ。私達はロシアと何世紀にもわたる、とんでもないストーリーを終わりにしたいのだ。
このジェノサイトを最後にしなければならない。マリア(カロさんのパートナー)と私はそう思っている。キエフを離れた人がどう考えているかは、私は知らない。
たくさんの人が子供達を守るためにキエフやウクライナを離れてしまった。それはもちろん、とてもよく分かる。でも一方で、子供達を避難のための移動中のストレスや危険から守るために留まることを決めた親たちもいる。それもよく分かる。
ウクライナ中の人が、兵士かボランティアになった。このことにとても心を打たれ、励まされた。そう、私達はいつだって怖い。特にすぐそばで迫撃砲の音がするときなどは。
でも、それが私達を守るために味方の軍隊が闘っている音だと知ると、違って聞こえてくる。それは安らぎをもたらしてくれた。
5日目(2月28日)
・路上の人達は、街路樹や柱についているいかなる印も隠した。敵がそれを目印に攻撃するからだ。
・ゴミ箱は芝生の上に正確に配置された。なぜならゴミ箱は装甲車が進入した場合、バリケードを作うから。
・多くの市民がモロトフ・カクテルの材料を探している。食料ではないよ。(モロトフ・カクテルは火炎瓶のこと)
・犬を散歩させるときに、私はゴミ箱や路上から空き瓶を集め、地域の警備隊の人に渡す。彼らはそれでモロトフ・カクテルを作る。
・感情がジェットコースターみたいに強くなる。悲しみ、喜び、誇り、不安、恐怖、楽観、狂気。時にはそれらが一度に襲ってくる!
・静かな昼夜は不安をもたらす。なぜなら激しい銃撃戦は静寂の後におこるから。
・今日は月曜日で、たくさんの人がマニキュアやヘアカットなどを予定していたはず。今は、マニキュアやヨガやヘアカットのある暮らしをしていたことを思い出すができないことさえ、シュールになってしまった。
4日目(2月27日)
私達のアパートの地下に行ったのは2回だけだ。そこにはもう15人の人たちがいた。年齢は65〜85才の高齢者がほとんど。特別な設備はなくて、照明と電源、電気ポットがあるだけ。どの人も椅子やペットを持ち込んでくる。みんなで一晩をそこで過ごすことになる。
私達は空襲警報が止むのを待って、自宅に戻る。何かの記事で家が崩れた場合は地下ではなく、自宅にいたほうが救助されやすいと読んだ。地下は地下でしかないから。それから、空襲警報が鳴ったら窓を開けておいたほうがいいということも知った。爆風でガラスが吹き込んでしまうから。
私達は家でのほとんどの時間は、廊下で過ごすようになった。
私達は食料、水、衣料品については困らなかった。開いているスーパーマーケットは少ないから、長い列ができる。特に薬局。私の父はスーパーマーケットで働いているので、何か新しい食品が入ると私に電話をして、パンや卵、バナナや牛乳が必要か聞いてくれる。そして夕方に運んできてくれる。
何回かはその量がとても少なかったり、間が長く開いてしまうこともある。でも続けてくれている。
1日目でたくさんの人がキエフを離れた。賑やかだった通りに人がいなくなって、シュールな風景だった。車がほとんど通らないから、信号の光は落とされた。
2日目に外出禁止令が出た。その1回の外出禁止令が丸二日続いた。数人の破壊工作員がキエフに侵入し、私達の軍隊が彼らを排除した。この二日間は本当にさみしくて悲しい日となった。
生活が変わった。もっとも大切なことはいつも携帯をフル充電しておいてニュースを見る。新鮮な水を用意し、いつでも避難所に走って行ける服装でいること。画像は同居しているマリアさんと老犬のボダ。
3日目(2月26日)
3日目の記録はこちら
2日目(2月25日)
私達はできるだけいつも通りの生活をするようにしようと決めた。そうすればストレスを減らせる。こんな事態に持ちこたえるために、自分の声を聞くことはとても大切なことだ。ニュースをもらさず読むようにする。状況を知ることが、何をすべきか考えるのに役立つから。この日は世界中の友達や知人からたくさん、心配する声をいただいた!一番多かった質問は「大丈夫?キエフから離れるの?」
私達はキエフを離れないことにした。戦争だから国中のどこに行っても攻撃される。そんなストレスのなかで過ごすなら、一番良く知っている過ごしやすい所にいるほうが精神衛生的に良いから。キエフは侵攻される。国も全部侵攻される。だったら他の場所に移動するのに時間やお金、労力を費やす理由なんてない。どこに行ったって歓迎されないでしょ(そう思うのは当然だもの)。そして戦争を恐れ続けるの?もし自分の家にいてくつろげるなら、そこに留まることほうが少しはいいかもしれない。
私たちには2匹の犬と1匹の猫がいるので、シェルターにみんな連れて行くのは気が進まない。結局安全なシェルターはないから、地下鉄の駅に行くべきだという情報を読んだ。でも地下鉄の駅はとても遠い。または家のなかで二つの壁に面しているところにいたほうがいいらしい。それは廊下のこと。だから私達は廊下で寝るようになった。そして世界に対して、ロシアにもっと制裁を、私達の国の空を飛ばせないようにするように望んだ。
1日目(2月24日)
2月24日の夜、なにか変に不安な気持ちがして目が覚めた。薬の副作用か何かだろうと思って、気にしないことにした。遠くで何か音を聞いたが、キエフの夜が静かだったことはあまりないので、しばらく様子を見て、それからトイレに行った。何ごともなく静かだった。
朝起きて、SNSを見てウクライナが爆撃を受けたことを知った。戦争が始まった。
犬の散歩のために外出をした。ジョギングをする人、携帯で話をしている人、ミネラルウォーターのボトルを運んでいる人がいた。何人か旅行用のスーツケースやバッグを持って歩いていた。ATMとガソリンスタンドにものすごく長い列ができていた。デジャヴュだ。2014年のキエフの抗議行動の時と同じ風景、感覚を持った。
私達はコーヒーと朝食をとって、緊急避難用リュックの支度をした。一番大きな問題は、どうやって作品や人形を運ぶの?どうやって自分たちのコレクションを守るの?
一番大切な人形、大好きだった人形といった順番で、昼の12時までには全部の作品をパックすることができた。
それからスーパーマーケットに行って長期間に耐える水と食料、冷凍野菜、缶詰の野菜、肉、魚を買った。スーパーにはまだそんなにたくさんの人はいなかった。支払はクレジットカードでした。
たくさんの人が車でキエフから避難しようとしていた。すぐに高速道路は大渋滞になった。私達は数日前に通販で頼んで支払も済んでいるものがあったのだけど、何の連絡もないし電話もつながらない。それに予約していたヒーリングマッサージも、営業を止めていて、こちらも電話がつながらない。
ニュースでロシアが(これからは私はこの国を小文字=russiaで書くことにする)とベラルーシ(こっちも小文字=belarussia)が軍隊を集めて国境近くに配備していると知った。私達は、戦争がまもなく起こるのだろうと話した。ある人は冗談をいい、ある人はそれを信じなかった。そしてそれは、現実となった。私達の生活がたった一晩で一変してしまった。
なんとかバックパックに作品を詰めた。
戦争が始まる前まで作っていた作品